2015年 9月号


「本当の平安」
万好徹治


あるご婦人がこのように言われました。

「私の心の中には、いつも神様が下さった平安があります。

それは、スポーツや趣味で気持ちをリフレッシュしたり、自分で目標を決めて、

それを成し遂げたりして得た充実感とは全く違う、

これまで三十数年生きてきた中で感じたことのない気持ちです。

自分の力で頑張って生きていた私の肩の重荷を、

イエス・キリストが降ろして下さったという、穏やかな温かい気持ちです」。


なぜイエス・キリストを信じると平安を得ることができるのでしょうか。


神様との間に平和が与えられるから


信仰によって義(正しい)と認められた私たちは、

私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。 

ローマ5章1節


私たちの心は、全ての物を造り、支配し、

保っておられる本当の神様がおられることや、

人生の最後には神様の前に立たなければならないということを、

本能的に知っています。だからこそ、死を恐れるのです。


それは私たちが、自分では解決できない罪を心に持っており、

このままでは神様の罰を受けるのではないかと感じているからです。


神様はひとり子であるイエス・キリストをこの世界に遣わされました。

そして、このキリストが私たちの罪を身代わりに背負い、

十字架で死ぬことによって罪を赦して下さいました。

それだけではなく、イエス・キリストは日曜日の朝に死からよみがえられました。


この事実のゆえに、イエス・キリストの身代わりの死と復活を信じる時、

この世界を造られ、全てを支配しておられる神様と和解することが出来るのです。

いつ神様の前に立つ時がきても、罪が赦されて神様との間に平和を持っていれば、

私たちの心には恐れではなく、平安があるのです。


無条件の愛が与えられるから


私たちは時に、生きるのに疲れたり、弱ったり、悩んだりします。

そんな私たちにイエス・キリストは、


「わたしのところに来なさい。わたしが休ませてあげます。」


と言っておられます。ここに無条件で私たちを受け入れて下さる愛があります。


私たちに求められていることは、そのままの状態で

ただイエス・キリストのもとに行くということだけです。

イエス・キリストは両手を広げて待っておられます。

信じてその腕の中に飛び込む時、私たちは本当の平安を得ることが出来るのです。


永遠の行き先が分かるから


私たちは、自分の力で生きていると思っていますが、

本当は神様が私たちを支えて、導いておられます。

それは私たちに平安を与えるだけでなく、

将来の希望を与えるものであると聖書は言っています。


 イエス・キリストを信じている人は、人生の最期を迎えた時、

無条件で天国に入ることができます。

そこは涙も苦しみも、死もない所だと神様は約束しておられます。


イエス・キリストを受け入れた時から、生きている間も、死の瞬間にも

本当の平安を持つことができます。

あなたも無くなることのない、本当の平安を求めて教会に来てみませんか。