2016年 2月号


「愛を求めて」
万好徹治


現代の日本が抱える大きな問題の一つに、

離婚率の高さが挙げられるのではないでしょうか。

統計によると、一年間で結婚するカップルは67万組で、

その三分の一が離婚します。たとえ別れないにしても、

家庭内別居やセックスレスの夫婦が増えているのも、また事実です。



愛に病む人が多い


どのカップルも、幸せになりたいと期待に胸を膨らませながら

新婚生活を始めるはずです。


しかし、現実はどうでしょうか。

結婚前に思い描いた通りの幸せを獲得している人は、

そう多くないのではないでしょうか

結婚して、更なる孤独を味わうという悲しい現状が、日本には多く見られます。

寂しさや空しさから、浮気や不倫に走る人も少なくありません。


現代人は、愛に病んでいるのです。



愛を誤解していませんか?


「愛とは何か」と聞かれたら、あなたはどう答えますか。

新約聖書の中には、結婚式などでも読まれる有名な言葉があります。


「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。

愛は自慢せず、高慢になりません。

礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、

人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」

Tコリント13章4〜7節


この「愛」という言葉を、あなたの名前に置き換えて、もう一度読んでみてください。

どうですか。自分が「愛」とは程遠い存在であることに気付きませんか。


私たちは愛を持っていると勘違いしているだけなのかもしれません。

愛が分からないままに結婚生活に突入するので、

多くのカップルが破局を迎えるのではないか、そう思えて仕方ありません。



愛されること 愛すること


また、受けることが愛だと勘違いしている人もいるように思います。


「主人が話を聞いてくれない」「妻が私を理解してくれない」

などという言葉をよく耳にするからです。


実に多くの人が、愛するよりも、

愛されていることに価値があるという考え方にだまされています。

この価値観を変えない限り、その愛は幸せをもたらすものとは言えないのです。



この愛を知るべき


 では、どこに本物の愛があるのでしょうか。聖書にはこのように書いてあります。


「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。

それによって私たちに愛がわかったのです。」

Tヨハネ3章16節


イエス・キリストは、罪人である私たちを救うために、

身代わりに十字架の上で命をお捨てになりました。

命を捨てる程に、私やあなたを愛しておられるからです。


本来ならば自分の罪(自己中心の心)のゆえに、私たちが受けるはずだった罰を、

罪のないイエス・キリストが身代わりに受けて下さったのです。

この愛を体験した人だけが、キリストの愛をもって

周りの人を愛することができます。


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