2019年 3月号



 人は何のために生きているのか

 第一生命の調査によると、小学生男子の「大人になったらなりたいものべスト10」はサッカー選手、野球選手、学者が上位を占めています。有名なチームに属し、桁違いの報酬をもらったり、ノーベル賞を得て世界中から称賛を受けたりする日を夢見ているのです。

 けれども、その数年後には公務員や医師、教師などの堅実なイメージの職業が上位にランクインするようになります。努力が必ずしも結果に結びつかないことに気付き始めるのです。

オリンピック選手に選ばれるのは、国内のほんの一握りのアスリートであり、金メダルを手にできるのは、その内の一人だけです。目標が高ければ高い程、それを達成できなかった時の挫折感や喪失感は大きくなります。残念ながら、私たちは日々何かを諦め、目標を修正しながら生きているのです。

 では、目立った特技も取り柄もない、普通の人である私のような人間は、いったい何を目指して生きていけばよいのでしょうか。

現代の若い人の中には「生きる目的は特にない」と言う人が多いように思います。苦しいことばかりなので、死んで楽になりたいと言う人もいます。残念ながら、自ら命を絶つ人も少なくありません。

何のために生きるのか分からない、生きていても意味がないと考えている人に、思い出して頂きたいことがあります。

 誰一人、自分の力で生きている人はいません。命がけであなたを産んでくれたお母さんや、熱を出したあなたを抱えて病院に連れて行ってくれた人、数時間ごとに授乳し、オムツを替えてくれた人、学費や生活費を工面してくれた人の愛なくしては、あなたは一日も生きることができなかったのです。誰にも愛されず、自分一人で生きているように感じて虚しさを覚えているならば、今一度周りを見渡してみてください。あなたが応えて生きるべき愛が見つかるのではないでしょうか。

生かして下さる愛の神様がおられることも忘れないで下さい。もしも母親が自分の産んだ子を忘れるようなことがあったとしても、あなたに命を与え、生まれる前から愛し、慈しんでこられた神様は、決してあなたを見捨てることはありません。

「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたし(神様)はあなたを忘れない。見よ。わたしは手のひらにあなたを刻んだ。」(イザヤ書49章15・6節)

少し考えてみて下さい。私たちが当たり前のように思っていることの中にも、神様の愛は溢れています。あなたの食べるおにぎりのお米のために太陽を与え、季節になれば雨を降らせて稲穂を実らせ、養分を与えて海中の海苔や鮭を育てておられるのは神様です。真の神様は、あなたのことを愛し、あなたの心に本当の平安と希望を与えることのできるお方です。

なんだか生きる勇気が出ない時や、心に秋風が吹いたような虚しさを感じる時、何のために生きるのか分からなくなった時は、上を見上げて、あなたを愛しておられる神様を思い出して下さい。この方の中に生きる意味を見出す人は、日々感謝しながら本当に幸せな人生を送ることができます。

「わたし(神様)の目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」