2019年 3月号


「幸せ」って何ですか?

     

「幸せ」って何ですか?

そう問われると、少し困ってしまいます。幸せについて改めて考えてみると、

以前よりも幸福感に浸ることが少なくなった自分がいるような気がするのです。


子どものころは、バナナが一本あると幸せでした。兄弟たちと多い少ないとケンカをしながら、あの甘さにうっとりしたものでした。大人になった今もバナナの味は変わらないはずなのに、いくらバナナを食べても、もうあの頃のような幸福感に包まれることはありません。


 洗濯機が初めて家に来た日、これからは赤切れやしもやけに悩まされずに済むと喜んでいた母も、当時はまだ高価だった自家用車を手に入れて、毎週大切そうに洗車していた父も、思い返せば本当に幸せそうな顔をしていました。


 一つの物を手に入れるのに苦労していた頃、私たちは今よりも幸福でした。

けれども、昔は夢のまた夢だと言われていたことが大して珍しくもなくなり、

すべての物を誰もが簡単に手に入れられるようになった今、

以前のような幸福感を味わうことができないのは、どうしてでしょうか。



感謝する人は幸せになれる

悩む者には毎日が不吉の日であるが、心に楽しみのある人には毎日が宴会である。

箴言15章15節


ある人が強盗に襲われました。持ち物をすべて奪われ命からがら帰宅した彼は、

その日の夜、日記に次のようなことを書き込みました。



神様、今日まで一度も強盗に遭わなかったことを感謝します。

強盗が持ち物を全部奪って行きましたが、命は守られたことを感謝します。

強盗が持ち去ったものが大して重要な物でなかったことを感謝します。

そして、私が強盗をする側の人間ではなく、される側だったことを感謝します。 



生活の豊かさは、必ずしも心の豊かさをもたらすものではありません。

同じような境遇にあっても、感謝できる人もいれば、不平ばかりの人もいます。

いくら物質的に恵まれていても、心が満たされていなければ幸せにはなれないのです。

いつも周りばかりを見て、他人と比べて生きているならば、

残念ながら幸せはあなたから遠ざかる一方です。



幸せの鍵は目に見えない

私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。

見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

コリント人への手紙第二4章18節


 物がもたらす幸福感は長続きせず、どれほど丁寧に扱っても、

形あるものはいずれすべて壊れます。本当に大切なものは目に見えないものであり、

それこそがいつまでも続く希望です。



人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。

マタイの福音書16章26節



富や名声、権力などは、人に真の幸せをもたらすものではありません。

イエス・キリストの言葉を素直に受け入れ、まことのいのちを手に、永遠の視点を持って

生きる人になりたいと思いませんか。ここに真の幸せをもたらす鍵があります。