「愛されていますか?」 万好徹治 あなたは愛されていますか? 愛について考える時、私はある家出青年のことを思います。彼を説得して、実家に引き戻した時のことです。 「あなたの息子さんは、お父さんに愛されていないと思って家出したようですが、何とか愛してあげてくれませんか。」 「愛してない?そんなことはないですよ。あいつの着ている服は、私が買ってやったものです。食事も与えて、学校にも行かせているし、何が不満なんですかね?」 青年は愛が実感できずに不安だと言っていました。 多くの人の愛の概念 日本人が愛するという言葉を使う時、そこに含まれている概念はどのようなものでしょうか。 例えば「愛車」という言葉があります。 私たちは自分にとって価値のある物や利益を与えてくれる物を愛します。 先の青年は、自分の能力や成績が父の要求に合っていないので、愛されないと悩んだのです。
愛が分からなくなった時代 最近よく、「昔は良かった。」という言葉を耳にします。 家族そろって田畑に出て働き、稲の成長に一喜一憂していた時、私たちは自分が愛されているかどうかと悩みませんでした。 それぞれの部屋を持ち、違う学校や会社に行き、互いに競い合うように宿命されている今の社会では、お互いに共感できる部分は本当に少なくなりました。 一日の大半を離れて過ごす家族。そして社会の価値観を家庭にも持ち込み、自分に益をもたらす存在かどうかが、愛する対象を決める基準となってしまっています。 無条件の愛 さて、神様の価値観は、私たちの物の見方とは違います。 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」 能力ではなく、あなたの存在そのものを喜んで下さるお方がおられるのです。 たとえあなたが満足感や利益をもたらすことがなくても、あなたを造った本当の神様は、ありのままのあなたを愛して、受け入れてくださいます。 |