2017年 9月号


あなたは幸せですか?


これは、人類が存在するようになって以来、変わらず誰もが追及している永遠のテーマと言ってよいでしょう。

そもそもあなたにとって幸せとは何でしょうか?美味しい物をお腹いっぱい食べることですか。それとも高級な車に乗ることでしょうか。有名になることや、異性にチヤホヤされること、他の人が持ちえないような能力を持つことが幸福だと思われますか?

現代社会には、大金持ちになること=幸せだと考えている人も多いように思います。けれども、お金がなければ助け合って生きるのに、お金があるばかりに兄弟が争い、いがみ合っているケースもよく目にします。

ひと昔前には、家に電話や車があることが自慢でした。テレビ・冷蔵庫・洗濯機を三種の神器と呼び、発展こそ幸福をもたらすものだと信じて疑いませんでした。

ところが、自家用車を一人一台持てるまでになった今、「私は幸せです。」と心から言える人は、いったい何人いるでしょうか。良いことがたくさん起きる人生が幸せな人生ではないということに、私たちは既に気付き始めています。

ところで、イエス・キリストは、幸福について不思議な教えを残されました。心が貧しい人=幸せだと言うのです。また、悲しむ人も幸福であると言っています。

一見すると、幸福とは正反対のこのような状態を、どうしてイエス・キリストは幸せであると言ったのでしょうか。

実は、この幸せとは主観的なものではなく、神様から見て「祝福されている」状態を指します。それこそが、揺るぐことのない本当の幸せであると聖書は教えているのです。

心の貧しい者とは、自分に罪(悪い心)があることを認め、神様の前に謙遜する人のことです。

このままでは、きよい神様のおられる天国へは到底入れないと気付き、悲しむ人だけが、罪のないイエス・キリストが自分の身代わりに罪の罰を受けて死んで下さったことを信じることができるからです。
たとえあなたが大富豪になって、名の残るような事業をしたとしても、あるいは、たくさんの子孫に囲まれて日本一の長寿を全うしたとしても、天国に入る権利を得なければ、幸せな人とは言えません。

反対に、たとえ貧しい生涯であっても、だれの記憶にも残らない一生、あるいは短い命であったとしても、天国に入れるならば、その人は幸せな人と言えます。

万人にとっての幸せとは、イエス・キリストによる罪からの解放を手に入れて、天国に入る約束をもらうことです。この幸いに到達できない人はいません。

あなたがこの本当の幸せを一日も早く手に入れて下さることを、心から願ってやみません。 

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」マタイ5章3節