2016年 6月号


「心の健康 体の健康」
万好徹治


あなたは、何か大きな病気を経験されたことがありますか。

健康に動き回れる日を思い描きながら、病院のベッドの上で

天井ばかり見て過ごす辛さは、筆舌に尽し難いものがあります。

お見舞いに来る人たちや廊下から聞こえてくる声が

やたらと幸せそうに感じられて、みじめな気持ちになることもあるでしょう。



すべての人の願い


「病気」という言葉は、気を病むと書きます。

傍から見れば十分恵まれていると思えても、

たくさんのストレスに悩まされている人もいるでしょう。


さて、病気やストレスがないこと、

人間関係が円満であることや心が穏やかであることが

必ずしも健康とはイコールにならないと私は思います。


ニューヨーク・リハビリテーション病院の壁には、

作者不詳の感慨深い詩が残されています。

私はこの詩に出会った時、

健康とは一体何だろうかと改めて考えさせられました。


病者の祈り

大事をなそうとして 力を与えてほしいと神に求たのに

慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった


より偉大なことができるように 健康を求めたのに

よりよきことができるようにと 病弱を与えられた


幸せになろうとして 富を求めたのに

賢明であるようにと 貧困を授かった


世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに

神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった


人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに

あらゆるものを喜べるようにと 生命を授かった


求めたものは一つとして与えられなかったが

願いはすべて聞き届けられた


神の意にそわぬ者であるにもかかわらず

心の中の言い表せない祈りは すべてかなえられた


私はあらゆる人々の中で 最も豊かに祝福されたのだ


この詩の作者は富も権力もなく、たとえ病弱な生涯であったとしても、

「自分は最も祝福されている」と言えるほどに、

その心には喜びと感謝がありました。

なんと健康な心の持ち主でしょう。


どうすれば私たちもこのようなことが言えるようになるのでしょうか。



本当の健康


さて、あなたは今朝から頭痛がするとしましょう。

仕事や家事も手につきません。

少し横になってみたり、手元の頭痛薬を飲んでみたりするでしょう。

それでも一向に良くなる気配がありません。

あなたは主治医のもとへ行き、症状を詳しく話して「早く治して下さい」と訴えます。

自分ではどうすることもできないからです。


同様に、私たちは自分ではどうすることもできない罪(醜い心)を

持っていることを素直に認め、十字架で私たちの罪の罰を

身代わりに受けて下さったイエス・キリストのもとへ行き、

「私の罪を赦して下さい」とお願いすることが必要です。



「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、

私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」

ローマ6章23節


早めに病院に行き、的確な治療を受けることは誰にとっても重要なことです。

自己判断で放っておくと手遅れになってしまう恐れもあるからです。


さあ、心の罪も放っておかずにイエス・キリストのもとへ行き、

本当の健康を手にいれませんか。